無理しない選択が「逃げ」じゃない理由
無理しない選択をすると
まるで「逃げてる」と言われてるような感覚になる時がある。
特に仕事の世界では、
- 頑張る
-気合い
-根性
-継続
-踏ん張る
みたいな言葉が正義として扱われやすい。
だから止まることに罪悪感が湧く。
でも結論から言うと
無理しない選択は逃げじゃない。
むしろ逃げなかった結果壊れた人を
俺はたくさん見てきた。
■ 無理しない選択は「避難」やった
人間って不思議で
身体が悲鳴を上げても
“状況の方が間違ってる”とは思わない。
代わりに
「自分が弱いんかな」
「もっと頑張らなあかんのかな」
って自分の方を責める。
でも本当は逆で
無理し続けた結果壊れる方が
よっぽど深刻やったりする。
無理しない選択って本質的には
“逃げ”じゃなくて 避難 なんよな。
避難って行動の分類で言うと
「最悪を防ぐための選択」やから
弱い人がするんやなくて
生存戦略に近い。
■ 壊れた後に戻る方がよっぽど大変や
無理を続けると最後は
心が折れるか
身体が止まるか
どっちかが先に来る。
そのラインを越えた後の世界は地味に長い。
復活って思ってるより時間がかかるし
元のスピードに戻るには
倍くらいエネルギー使う。
つまり理屈としても
無理しない=逃げじゃなくて損失を小さくする判断
なんよな。
■ 「逃げたくない」が一番人を追い詰めることがある
多くの人は
「もう無理」
と思った時にすぐ逃げるんじゃなくて
「逃げたくない」
って粘る。
でもこの粘りは
自分を守るための粘りやなくて
評価を守るための粘りになりやすい。
評価は戻るけど
心は戻らんこと多い。
■ 自分の人生にとってはどっちが正解なんやろな?
ここで視点変わる。
逃げない方が立派
無理し続ける方が正しい
みたいな基準は全部
“外側の正義”やねん。
人生で本当に大事なのは
誰の正義で生きるんか
これっぽっちやと思う。
外の正義に合わせて壊れたら
守り切ったものってなんなんやろな?
■ 無理して頑張った結果
俺も無理を続けて壊れて休んだ。
半年休んで復帰して、2年働いてまた半年休んだ。
あの時に無理しない選択が「正解」やったんやと気づいた。休んだ時にはもう精神壊れてたから、
いつから無理してたかなんて正直覚えてないんよな。
今は治ったって言うより、自分が少し変わったかな?
って感じ。
実際そう思えるまでに5年近くかかったと思う。
■ 無理しない選択にはちゃんと価値がある
無理しない選択って
-逃げ
-甘え
-弱さ
-怠け
ではなくて
-撤退
-回復
-再設計
-準備
-方向転換
のどれかや。
そして生き物としては
方向転換ができる生き物が生き残る
これは環境でも仕事でも同じ。
■ 最後に:あなたに必要なのは根性じゃなくて余白かもしれん
無理しない選択は
前に進まない選択じゃなくて
前に進めるようにするための選択
やった。
逃げではなく
“距離を置く知性”
これが分かったときに初めて
立て直しが始まる。

